戻ってきてから二週間、まだ失調している。まだ夢を見る。
太陽と砂埃の街。
素朴で人なつっこい人々。貧しくも鮮明でゆっくりな暮らし。
長く閉ざされた社会主義から少しづつ開かれていく
時代の変わり目の混沌の真っ只中にあっても
力強く誇り高いこの街の有り様に、すっかりヤラれてしまった。
丸々一週間、同じ時間に起きて同じ宿で朝食をとり
同じパブでビールを飲みながら地図を広げて一日の計画を立てた。
街へ繰り出すも溢れる好奇心と容赦ない暑さでいつも計画通りには行かず
また歩いては酒を飲んで、宿に戻って少し休んで、夕焼けを見て、
夜の街へ出掛けて、気絶するように眠るを繰り返すだけで過ぎてしまった。
七日間とにかく歩いて歩いて、ようやく街とリズムが合いはじめた。
「共に貧しく、共に豊かに」。この国には貧富の差がない、みな貧である。
飲み屋の親父から医者まで、国民の八割が公務員で平均月収が三千円程。
なんと平均結婚回数は4回という寛容さもある。
教育と医療は無償、食料や生活用品や住居は助成される。
しかし、長期経済封鎖で慢性的な物不足であり例えばトイレットペーパーが
全く手に入らないような、強烈なインフレが横たわっている。
カストロ(兄)の死後、社会主義一辺倒から市場経済への移行を始めた。
観光客から直接外貨を稼げば一瞬でひと月分の給料を稼げてしまうような
いびつでハイブリッドな新ルールが出来たおかげで、公務員を離れて
民宿や食堂やタクシーやニセ葉巻売り等に転職する人も急増している。
またスマホを持つ若者が増え始めて世界中の最新の情報も飛び込んでくる。
黒船来航のような事が今起きて、
大きくガラリと変わるときに生じる熱を目の前で強く感じる事ができた。
経済的に豊かになり続けるということは同時に何かを失い続けるということだろう。
共存不可な自由と平等のジレンマを抱えながらもギリギリで持ちこたえているのは
押し付けられた社会主義ではなく自分達で革命を起こして作り上げたからだと思う。
あてがわれたものでなく勝ち取ったという誇りが貧しくとも危ない方向へ突き進むことを
ギリギリで食い止めてきたのかもしれない。
それからこの街には音楽がある。皆の共通のよりどころがある。
朝から晩までそこいらじゅうで音楽が鳴り止まない。
音楽がない場所では誰かが歌いだす。そして知らない皆も勝手に口ずさむ。
音楽が宗教なのである。
今、時間が止まったようなこの国に新しい価値観がまばらに突き刺さり続けている。
じりじりと、確実にアメリカ化していく事は少し残念な気がするけれど
うまく混ざり合ったら時代遅れどころか最先端な価値観の国になるかもなと願う。
私にはこの美しくいびつな世界がとても興味深く鮮烈に見えた。
遠くない未来に、また行きたいと思う。
今度はもっとスペイン語を覚えて、もう少し長く。
太鼓の音のなる方へ、いい匂いの食堂へ、灼熱の真ん中へ。
シンパシー!